寄稿コラム

【寄稿コラム:坂口 孝則氏】コロナ禍と経営

坂口  孝則氏
未来調達研究所株式会社所属
調達・購買業務コンサルタント、講演家、日本テレビ
スッキリ」木曜日レギュラーコメンテーター
大阪大学経済学部卒業後、電機メーカー、自動車メーカーで調達・購買業務に従事。現在は未来調達研究所株式会社所属。調達・購買業務コンサルタント、研修講師、講演家。製品原価・コスト分野の専門家。著作35冊。日本テレビ「スッキリ」等コメンテーター。


「コンサルタントは馬鹿者の集まりではないか」
コロナ禍の初期のころ、ふとそんなことを考えました。残念ながら、私も例外ではないかもしれません。コンサルタントは日ごろ、クライアントに「未曾有の危機に備えてください」「万が一に備えることがリスクマネジメントです」といっています。しかし、新型コロナウィルスの影響が広がる中、SNSには同業者や研修講師の悲痛な声に溢れていました。「仕事がキャンセルになった」「売上の見込みが立たない」。どうやら自分自身にとってコロナ禍は想定できていなかったようです。SARSや新型インフルエンザのようなパンデミックは、万が一どころか、10年に一度は起きているにもかかわらず。
私たちの会社は恥も外聞もありませんから、「みっともなく生きる」をモットーにしています。過去の成功はたまゆらで、事業がダメになったらすぐに、土下座でもなんでもやって生き残ろうと話していました。しかし今回は土下座を見せる対面機会も得られません。そこで、コロナ禍が明らかになると、すぐさま事業をデジタル化すると決定しました。
具体的には、セミナー事業をすべてオンラインに切り替え、さらにコンサルティングもテレビ会議を使用し、メディアに向けて大量の情報を発信しました。結果、2020年4月や5月は、前年同期比でも遜色のない売上高を確保できたところです。

 

コロナ禍が明らかにした企業状況

私はコンサルタントとして。各社の状況を聞いたり、メディアに出たり、講演をしたりしています。コロナ禍は、社会に激変を与えました。しかし、私の感覚では、コロナ禍は、むしろ決定打を与えた理解が正しいように思います。
つまり、企業は変わらなければならなかった。しかし、ズルズルと先延ばしにしていた企業ばかりだったのです。たとえば、2018年から2019年にかけてDX(デジタル・トランスフォーメーション)が流行しました。企業トップの発言からも、さんざんDXが登場しました。印象的だったのがトップから私が相談を受け、「ところでDXって何をやったらいいんだろうね」と言われたことです。きっと前日に経営企画部長あたりからスピーチの台本として聞いたていどだったのでしょう。
思うに、現在、コロナ禍で影響を受けているのは、旧来の宿痾から逃れられなかった企業なのではないでしょうか。新型コロナウィルスで重篤化するのは糖尿病など基礎疾患をもっている方々だと明らかになりました。おなじく、企業基礎疾患に罹患している企業ほど悪影響が大きそうです。
例をあげます。蜜月の取引先とだけやりとりを繰り返し、活躍の場を拡大し売上の分散を図ってこなかった企業。まさに、「近場クラスター」ともいうべきものです。
また、会議はやるんだけれど記録に残っていない、トップ同士の不透明な会談ですべてが決まる企業などは珍しくありません。まさに、密室・密談・密約の「三密取引」ではないですか。
そして、常に対面ばかりで、脱はんこと脱資料も進めてこなかった企業。これはソーシャル・ディスタンスではなく、デジタル・ディスタンスともいうべきものです。

 

価値観の変容

これは言葉遊びではありません。
ペストで在宅を命じられた若き日のニュートンが、窓から眺めたリンゴを元に万有引力を発見したのは有名な話です。また、100年以上前の日本でも、ペストが流行した際には、ネズミがペスト菌を媒介するため、駆除するために飼い猫の文化が生まれました。
HIVは90年代初頭に米国で若年層の死因上位にランクインしました。同性愛者の排斥運動が生じ、その対抗としてゲイの方々が声をあげ始め、そしてダイバーシティ、LGBTといった文化運動にもつながっていきました。
危機や災害というのは、人間生活を劇的に変化させないかもしれません。しかし、静かに価値観を変えていきます。今回の新型コロナウィルスもそうではないでしょうか。緊急事態宣言後、街中に人は溢れているように感じます。そして人びとも日常に戻ったように錯覚します。ただ、やはり価値観は変化しているのです。
もっといえば、新型コロナウィルスで人びとの価値観の何に変化があるのかを察知することこそ経営者の仕事ではないでしょうか。その意味で、テレワークというのは、単なる手段ではありません。遠隔でも仕事ができるという実践と発見は、これからの価値観に大きな影響を与えるはずですし、むしろコロナ禍をきっかけに、テレワークの可能性を見いださねばならないと思うのです。
もちろん、なんでもデジタル化、遠隔化すればいいという意味ではありません。
2018年や2019年に流行したAIやRPAにも危うさがありました。本来は、何かやりたいことがあって、そのためにAIを使うのが筋でしょう。また、本来やりたい何かの時間を捻出するためにRPAを使うというならわかります。しかし、多くの企業からは「AIとRPAの予算を確保できたから、何かやらないといけないようです」という倒錯した発言が聞かれました。
そうではなくDXをぜひ「物理的な制約をなくすためのもの」と定義してほしいのです。米国に行って商談するためには片道13時間がかかります。しかしテレビ会議なら交通時間はゼロです。また、無数のお客を工場見学でアテンドするのは手間暇も人員も必要です。しかし、VR上で工場見学が実施できれば、理論上は無限にお客を受け入れられます。優秀な人材は、あなたの会社のある僻地には来てくれないかもしれません。でも、ビーチの隣でサーフィンしながら仕事可能であれば、世界中から優秀な社員を集めることができるかもしれません。
それは夢想とおっしゃるあなた。たしかに、そう考えてしまうあなたには無理だと思います。

 

会うときは重要なとき

以前、私は自動車メーカーの調達部門に属していました。調達部門とは、企業の生産に使用する材料や部材、機器などを買い付ける仕事です。
従業しているころは、毎日のように取引先と対面しながら打ち合わせを重ねていました。そのとき、米国の同僚から、取引先とはめったに会わないと聞かされてショックを受けました。ボイスメールやeメール、さらにはテレビ会議があるのに、なぜ会う必要があるのか、と。合理的な返答はできませんでした。
もちろんテレワークには問題もあります。セキュリティや労務時間管理をどうするのかといった課題です。しかし、セキュリティが万全だったら、突然のように日本企業でテレワークに置き換わるかというと、そんな気はしません。
「そういえば、この前、取引先の営業パーソンに、どうしても来てくれって、会社の駐車場に呼ばれて会議をしたよ」
「なぜ駐車場?」
「ほら、あそこは人員整理をしているだろう。マネージャーは一定人数をレイオフしなければならない。だからオフィスに座っていたら、声がかかるかもしれないじゃないか」
「だから、目につかないように、駐車場で?」
「そうそう、それくらい切羽詰った状況じゃなければ、対面での打ち合わせはしないんだよ(笑)」
これはいくつかの調査でも明らかになっています。米国は広大な国土があり移動に時間がかかるため、毎日ようには会いません。たしかに物理的な要因があります。レイオフの話は半分冗談としても、私が感じたのは、そのベースに「記録する文化」があることです。
さきほど、私は日本取引のありようを、密室・密談・密約の「三密取引」と揶揄しました。いっぽうで、米国では個人の役割が既定されています。経営者も株主から見張られています。そうなると、誰がどのような意思決定をしたか、記録せざるをえません。
密室で無記録はなく、オープンで記録する文化。私は米国至上主義ではありません。ただ、これが遠隔業務やテレワーク、ならびにテレビ会議が当然のように定着する素地だと感じました。

 

公開主義と記録主義

米国で白人警官が黒人男性を殺す事件が起きました。それ以降も、白人警官が黒人に暴挙に出る動画が世界を驚かせました。もちろん痛ましい事件で、警官に同情の余地はありません。ただ、私が同時に驚いたのは、少なからぬ動画が、警官の側から撮影されていた事実です。
考えてみてください。日本では警官が撮影した動画が検証のために、世に晒されると想像できるでしょうか。また、中小企業の社長が、どこかの会議でトップ同士の対談した内容が全文公開される状況が想像できるでしょうか。私にはできません。
先日、JRのトップと静岡県知事がリニア工事で初対談しました。あれは二人っきりの会議を、しかし、リアルタイムで発信するものでした。この取り組みは衝撃を与えましたが、逆にいえば、日本では密談を公開する文化が存在しなかったことを意味します。
つまり、遠隔業務、テレワーク、テレビ会議は手段にすぎないのです。その手段が採用されない理由は、公開・記録する文化がないためです。ここにメスを入れることが第一歩です。

 

やることと評価が不明瞭ならテレワークは進まない

もう一つ、問題を指摘しておきます。かつて「ソリティア社員」なる言葉がありました。会社に来ても仕事がないから、ずっとwindows付属のゲーム「ソリティア」で遊んでいる人たちです。
また、某社では「windows95社員」という言葉も聞きました。窓際で仕事がないくせに950万円の年収を得ている年長者たちのことです。しかし、100歩譲って考えれば、職場を明るくしたり、上司と部下の緩衝材になったりするケースがあるかもしれません。問題は、その「職場を明るくする」「上司と部下の緩衝材になる」評価基準が明確ではないことです。
極端にいえば、「ソリティア社員」「windows95社員」であっても、その価値を組織が認めるものであれば問題ありません。基準が明確化すれば、テレワークでも可能でしょう。問題は、そもそも、社員の評価基準が不明確な点です。
よく、日本は、メンバーシップ型でありジョブ型ではないといわれます。文学部出身の社員がいきなりSEとなり「まずは仲間になってください。そこから徐々に仕事を覚えてください」といったメンバーシップ型であり、「このような水準の仕様書を書いてください」といったジョブ型ではないというわけです。
テレワークを推進するためには、ジョブ型でなければなりません。前述の米国での例も、ジョブ型=何をすればよいか、評価基準が明確だからこそ、時と場所を問わずに、「やるべきことをやっていればいい」からこそ自由な働き方が実現しています。
しかし、私は評論家ではなく、コンサルタントとして実務に関わっていますので、メンバーシップ型からジョブ型といわれても価値変容が難しいことはわかっています。
答えは中間にあるのではないでしょうか。

 

企業はテレワーク改革の前に、評価改革を!

私は、100%テレワークにも、100%対面業務のどちらにも与しません。最後に、ちょっと抽象的になることをお許しください。これからの会社員はチームに定性的に貢献できることと、定量的に出せるアウトプットと、両輪で評価されるべきです。
たとえば、会議などでうまく交通整理をしたり、同僚の愚痴を聞いたうえで相談相手になったり、取引先に絶妙な言葉を投げかけ状況を氷解させたりといった、組織に長くいることによってしか実現できない日本的価値は、やはりまだあります。それはテレワーク時代にあっても、じゅうぶんに評価してあげること。そしてトップが評価する姿勢を見せることで組織へのコミットも高めていく。同時に、「あなたは何ができるのですか」といったアウトプットも問うていく。これしかありません。
そして、必要なのは、評価に時間をかけることです。これまで日本企業の社員評価は、管理職が年に一度ホテルに缶詰になって、「こいつは上に上げてあげたいなあ」とか「バランスの関係で、この部署からA評価は無理ですよ」といった組織の力学と感情論でしか評価していませんでした。
それにたいし、これからは期が始まる前に上司とじっくり話して、評価基準と期待値を話すこと。そして、人事評価をものすごく時間をかけること。さらにフィードバックに時間をかけること。時間をかけるといっても、それでテレワークが実現すれば企業全体の労働時間は圧倒的に減少します。
というのも、人間はどうしても、功利的に行動します。制度や仕組みのなかでもっとも自分に有利なように動くのです。精神論だけでは足りません。感情から勘定への移行。働き方改革の土台は、このトップの意識変容、新しい経営様式にほかなりません。

 

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